楽曲制作との出会い
社会人になり数年が経った時、大学時代の友人たちと久しぶりに会って話をしていると、私の中に一つのアイデアが浮かびました。
それは、その中の一人が結婚する時に歌を作って歌うということでした。
なぜそうなったかは詳しく覚えていないのですが、友人の中の一人がバンド活動をしていたので、そのようなことを思いついたのだと思います。
バンドをしていた友人は、「歌詞さえあればメロディーはつけられる」と言ったので、私は歌詞を書くことしました。
当時の私は曲を作ったこともなければ、歌詞を書いたこともなかったので、どのように書けばいいか分からなかったのですが、書いてみると意外とすんなり書けたので、二週間後に友人の元に持っていきました。
友人はその場でギターを弾き、メロディーをつけてくれました。
その時の衝撃と感動は、それまで私が経験したことのないものでした。
自分でもやってみたいという思いから、すぐにアコースティックギターを買い、初心者向けの本を見ながら練習を始めました。
その本の一番最初に載っていたコードは指一本で弾ける Em7 というコードでした。 次は指二本の Em、その次は指三本の G コードでした。 最初は指一本でもなかなかいい音が出ずに苦労しましたが、毎日練習しているうちになんとか弾けるようになっていきました。
その三つのコードを繰り返し練習していると、 「この町で〜」 という歌詞とメロディーを思いつきました。
それは友人がメロディーをつけてくれた時以上の衝撃と感動でした。
その後も練習を続け、いくつかのコードを習得し、約一ヶ月後、「大阪ラブソング」が完成しました。
大阪ラブソング(https://bbunta.com/songs/osakalovesong/)
「がんばれ」制作
「大阪ラブソング」の後も曲作りを続けていましたが、思うように上手くはできず試行錯誤の日々が続きました。
ようやく10曲ほどができたある日の夜、高校時代の友人から一本の電話がかかってきました。
彼女とは卒業以来、一度か二度、同窓会で会った程度で、ほとんど連絡を取っていませんでした。
そんな彼女から何年かぶりに突然電話がかかってきたので、私は驚きました。
電話に出ると、さらに驚きました。
電話の向こうで彼女が泣いていたからです。
「どうした?」と聞いても、泣いてばかりでなかなか答えてくれません。
しばらくしてやっと出た言葉を聞いて、これは危ないと思いました。
私は時間をかけて彼女の話を聞くことにしました。
彼女は自身の身に起きたことをゆっくり、丁寧に話してくれました。
私はそんな彼女の話をただただ聞いていました。
やがてすべての話が終わると、彼女は、
「がんばれって言って」
と言いました。
私はためらいました。
「がんばれ」が人を励ます言葉であると同時に、人を追い込む言葉でもあるということを知っていたからです。
今、この言葉を言っていいのだろうか?
彼女を追い込みはしないだろうか?
そんな思いが頭の中をめぐりました。
すると、再び彼女は言いました。
「言ってくれたら、がんばれるから」
私は決心し、言いました。
「がんばれ」
彼女は「うん」と言いました。
電話の向こうで、また泣いているようでしたが、さっきまでの泣き方とは違っていました。
電話を切ると、私の頭の中にメロディーが流れ始めました。
翌日、その曲をギターで弾き、録音したものを彼女に送りました。
彼女はとても喜んでくれました。
その後、彼女とは何度かやり取りをしましたが、すっかり元気になったようでした。
そのうち彼女からの連絡は来なくなりましたが、私ももう大丈夫だろうと思い、私から連絡することもありませんでした。
それから数年が経ったある日、たまたま見つけた彼女のSNSで、彼女そっくりの女の子がとても楽しそうに笑っている写真を見ました。
きっと彼女は幸せをつかみ取ったのでしょう。
がんばれ(https://bbunta.com/songs/gambare/)
「絆-Happy Wedding-」制作
「がんばれ」を作った数ヶ月後、大学時代の友人から結婚するという報告を受けました。
約束していた曲はできていませんでした。
その時はまだ式の日までかなりの日数(一年程度)があったため、普通にできると思っていました。
しかし、一ヶ月、二ヶ月、半年経っても曲はできませんでした。
正確に言うと、一応できてはいたのですが、納得のいくものにはなっていませんでした。
一緒に式で歌うことになっていた友人はOKを出してくれていましたが、私の中での「何かが違う」という問題は全く解決していませんでした。
そんなある日、私は仕事帰りにスポーツジムに行きました。
一通り運動を終え、シャワーを浴びていると、突然曲が降りてきました。
私は急いでシャワー室を出て、服を着ると、頭の中で流れている曲を書き出しました。
それは今まで作っていたものとは全く違うものでしたが、コレだという確信がありました。
その後完成した楽曲は、無事に披露することができました。
絆-Happy Wedding-(https://bbunta.com/songs/kizuna-happy-wedding/)
再び楽曲制作へ
その後、楽曲は100曲ほど制作しましたが、ほとんどの曲は誰にも聞かせることはなく、次第に私は曲作りをしなくなっていきました。
曲を作ったところで、お金にはならないし、それで食べていけるわけでもない。曲作りをしてもなんの意味もないと思うようになったからです。
それから10年以上の月日が流れ、私は自分が曲を作っていたことも、作った過去の楽曲のこともすっかり忘れていました。
2023年1月、私は体調を崩しました。
結局、大したことはありませんでしたが、その時、自分の人生を見つめ直しました。
これから自分の命をなんのために使うべきかを真剣に考えた時に、頭に浮かんできたのは楽曲制作でした。
私がこれまで作った楽曲の中には、人を救いたいと思って作った曲もありました。人に勇気を与えたい、笑顔にしたいと思って作った曲もありました。
誰かを笑顔にできるなら、誰かに勇気を与えられるなら、誰かを救えるなら、たとえお金にならなくても、そこに時間と労力を使いたい。
悩んでいる人、悲しんでいる人、苦しんでいる人、ただ一人の人を救うために、私にできることをすることが、私の人生において、私が大切にするべきことだ。
そんな思いから再び楽曲制作をすることにしました。
DTM制作
どうやって音楽を作ればいいかを調べたところ、DTM(DeskTopMusic)に行きつきました。
必要なのはパソコンのみで、DAWソフトを使えばピアノ、ギター、ドラムなどあらゆる楽器を奏でることができ、歌声ライブラリを使えば歌をつけられるということも知りました。
2023年2月から勉強を始め、2ヶ月後の2023年4月に「大阪ラブソング」「英雄の証」の二曲をこのサイトで発表しました。
その後は本職のITの勉強をしながらも楽曲制作を続け、1年間で12曲の楽曲を作ることができ、2024年4月からは各ストアでのアルバム配信も始めました。
正直、音質や音圧(迫力)は完璧には程遠いものがありますが、今後も時間を見つけて少しずつ勉強していこうと思います。
とは言うものの、昨年は楽曲制作に力を入れすぎたので、今年はITの方に力を注ごうと思っています。
ITも人を助けるため、笑顔にするための大切な手段だからです。
次のリリースまでは少し時間がかかるかもしれませんが、そのうちまた必ずリリースしますので、今しばらくお待ちください。